1995年10月~1996年3月
総監督:庵野秀明
副監督:摩砂雪/鶴巻和哉
企画:GAINAX/Project Eva.
脚本:庵野秀明/薩川昭夫/榎戸洋司
絵コンテ:摩砂雪/樋口真嗣/鶴巻和哉
キャラクターデザイン:貞本義行
メカニックデザイン:山下いくと/庵野秀明
作画監督:鈴木俊二/本田雄/長谷川眞也
美術監督:加藤浩
色彩設定:高星晴美
撮影監督:黒田洋一
音響監督:田中英行
音楽:鷺巣詩郎
碇シンジ:緒方恵美
葛城ミサト:三石琴乃
赤木リツコ:山口由里子
綾波レイ:林原めぐみ
惣流・アスカ・ラングレー:宮村優子
碇ゲンドウ:立木文彦
冬月コウゾウ:清川元夢
日向マコト:結城比呂
伊吹マヤ:長沢美樹
青葉シゲル:子安武人
加持リョウジ:山寺宏一
キール・ローレンツ:麦人
鈴原トウジ:関智一
相田ケンスケ:岩永哲哉
洞木ヒカリ:岩男潤子
渚カヲル:石田彰
赤木ナオコ:土井美加
高橋洋子 公式サイト -YOKO TAKAHASHI OFFICIAL WEB SITE-
複数アーティスト
言わずと知れた国民的アニメにして大問題作。
放送終了後から現在に至るまで様々な議論や考察がなされてきた。
今回、改めて「ふしぎの海のナディア」から通して観てみたところ、いくつか納得できた部分はあった。
エヴァといえば革新的な演出(特に後半の)が有名だが、それらの伏線は既にナディアに存在していた。
例えば、ナディアのジングルで毎回「シークレットブルーウォーター♪」と短い歌が入るのだが、何回か歌がなかった回がある。
巻き戻して観てみると、確かに歌があるとシーンの雰囲気が損なわれる感じがしたので、演出として行ったのだろう(現場は相当もめただろうが)。
ここから、庵野監督はジングルを単なる記号として使用するのではなく、演出としてきっちり捉えている人物であり、また、演出上不要であれば大胆にカットしてしまう勇気を持ち合わせた監督だということがわかる。
そういったギミックを最大限、ぎりぎりまで敷衍したのがエヴァでの様々な演出であり、それらは決して自暴自棄でも怠慢でもないことがナディアを観て改めて理解できた。
(と、こんな議論はもう20年前に出尽くしたのだろうが、一応)。
さて、問題は本作(ここではアニメシリーズのみ)をどう理解し、楽しめばいいかということだが、普通のアニメとしてではなく、ある意味純文学作品のように捉えるのが一番飲み込みやすいのではないかと思う。
純文学の世界ではしばしば、作品それ自体の完成度よりも、主題が前作よりも推し進められていたり、文体がより本人らしくなっていることが評価の対象となり得る。
面白さがどうでもいいというわけではないのだが、単なる話の面白さや完成度よりも重要視される要素があるというのが純文学の特異性だろう。
また、そこがライトな読者を受け付けない硬派な部分でもあり、エヴァンゲリオンも同様の性質を持っていると私には思えた。
エヴァンゲリオンを観る際は、ただストーリーや世界観を楽しむだけではなく、あくまで庵野秀明氏の作品群の一つであるという視点を忘れてはならない。
それを忘れてしまえば、どこまでもわけのわからん作品で止まってしまう。
物議をかもしだしたラスト2話も、それ自体に物語の整合性を求めたり、続編に明確な答えを要求するのではなく、庵野監督というフィルターを通し、彼の心の中からあの時点でのあの着地の意味・意義を探ることで真意が見えてくるのだろう。
余談だが、純文学作品にはそうやって作者の心情から本当のエンディングを推し量るしかないものが多々存在する。
川端康成「雪国」などはその典型である。
とまあ小難しいことを考えなくてもアニメとして楽しめることは楽しめる(後半まではw)。
プロットも早いし、世界観も秀逸、萌えあり、ドラマありで、普通に大団円で終わっても歴史に堪えうるアニメになっただろう。
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