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2012年10月~12月
原作:虎虎(KAエスマ文庫/京都アニメーション)
監督:石原立也
脚本:花田十輝
キャラクターデザイン:池田和美
美術監督:篠原睦雄
色彩設計:竹田明代
設定:髙橋博行
撮影監督:浦彰宏
3D監督:山本倫
音響監督:鶴岡陽太
アニメーション制作:京都アニメーション
製作:中二病でも製作委員会
配給:松竹
富樫勇太:福山潤
小鳥遊六花:内田真礼
丹生谷森夏:赤﨑千夏
五月七日くみん:浅倉杏美
凸守早苗:上坂すみれ
七宮智音:長妻樹里
一色誠:保志総一朗
小鳥遊十花:仙台エリ
富樫樟葉:福原香織
九十九七瀬:井上喜久子
六花の母:岩男潤子
- アーティスト: Black Raison d’etre,ZAQ
- 出版社/メーカー: ランティス
- 発売日: 2012/11/21
- メディア: CD
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タイトルからしてラノベラノベした内容を想起させるが、その実、モラトリアム期の少年少女が持つ葛藤を描いたある意味普遍的主題の作品。
同様の主題は古今の純文学作品に見られ、私が愛読するものではラディゲ「肉体の悪魔」や、
綿矢りさ「インストール」などがある。
こういった主題を持つ作品の登場人物たちは、彼らがモラトリアム期の現在進行形の当事者であるだけに、彼ら自身も自分自身の問題を客観的に把握できない。
従って、登場人物たちを誠実に描写すればするほど、彼らにとっての切実な問題を論理的に解剖し、明確な回答へと導くことができなくなる。
そのため、モラトリアム期の葛藤を主題とした作品には、必ずわかりにくさがつきまとうこととなる。
しかしそのわかりにくさこそ、作品が主題に誠実であることの証明に他ならない。
本作もその点において誠実であると言っていいだろう。
中学時代に激しい中二病を患っていた主人公富樫勇太は、高校入学と同時にそれらを封印し、普通の高校生活を送ることを誓う。
しかし、彼の前に現れるのは、高校生になってもまだ重度の中二病を患うヒロイン小鳥遊(たかなし)立花、元中二病の森サマーこと丹生谷森夏(みぶたにしんか)、現役中二病の中学生、凸守(でこもり)早苗など。
一見ただそれだけのドタバタコメディのように思えるが、徐々にそれぞれにおける中二病の意味と、彼ら自身の心の葛藤が浮き彫りとなっていく。
そこを丁寧に拾っていかねば、本作の深みは理解できないだろう。
登場人物達と中二病の関係を箇条書きにすると、
立花
中二病は辛い現実と折り合いをつけるための手段であり、現実逃避のためのものではない。
だから、中二病を卒業することが必ずしも彼女にとっての現実を生きる力になるとは言えない。
雄太
中二病は現実との違和感から逃れるための手段であったが、高校入学と同時にその違和感を受け入れることを決意し、中二病を捨てる。
中二病は悪であり、卒業するべきもの。
雄太にとって現実とは普通であること。
丹生谷
雄太とほぼ同じであるが、普通に固執することもまた病であり、それ自体が中二病の亜種であると認識している。
中二病=悪であり完全に捨て去るべきものであると認識する雄太と違い、中二病にもある種の効用があるのではないかと感じはじめている点で少し大人。
六花が中二病を捨て、普通になることの危険性をいち早く察知し、雄太に忠告する。
凸守
中二病の真っ最中だが、その儚さを実は誰よりも理解している。
結局、主要人物全員が中二病的世界に完全に依存しているわけではなく、最初から現実となんらかの折り合いをつけている。
しかし、物語の進行とともにその均衡は破られ、それぞれが現実と中二病の間で葛藤する。
その葛藤が最も大きいのが小鳥遊立花であり、彼女の中二病と現実のバランスを図らずも崩してしまったのが富樫勇太である。
では富樫雄太と小鳥遊立花の関係性をおさらいしてみよう。
立花は中学生の時に父親を亡くしたが、その事実を受け止めきれないでいる。
一方で、家族に迷惑をかけたくないという思いから、反抗もできず、ただ心を塞ぐことで現実を受け入れようとする。
しかし、そのままではやがて壊れてしまうだろう事は自分でも予感していた。
そんな時、中二病真っ盛りの雄太を見て、彼女なりに現実との折り合いをつける方法を発見する。
立花にとって中二病とは、父親不在という受け入れがたい現実に立ち向かうための武器なのである。
ここで「不可視境界線」が重要な意味を持つ。
不可視境界線とは、現実と中二病の文字通り見えない境界線である。
立花の中二病の根本的な原因は父親の死にあるので、その不可視境界線に父親(の死)が存在することは当然である。
当初、立花は不可視境界線を探し求めていた。
それは見つけることが目的なのではなく、見つからないことがわかっていてそれでも探し続けることで、父親の死をなかったことにし続けるという行為であったのではないか?
不可視境界線が見つからない=父親の死という事実が存在しない。
不可視境界線が見つかるということは父親の(再)発見であり、それは同時に父親の死の認識でもある。
不可視境界線という存在しないものを探す中二病的行為が、立花が父親不在の現実に立ち向かうための日々の儀式であったと言えるだろう。
それが、雄太との関わりにおいて一変する。
雄太は立花に不可視境界線は存在すると告げる。
それは彼女にとって、父親不在の現実を受け入れることが可能であるという示唆に他ならない。
中二病を自らに授け、父親不在の世界と向き合う勇気をくれた雄太が、今度は不可視境界線へと誘い、父親の死と直接対峙するきっかけを与えてくれるのである。
ここで立花にとって不可視境界線とは発見されるべきでないものから、発見されるべきもの、そして乗り越えるべきものに変化した。
彼女は、勇太と一緒なら乗り越えられると確信したのだ。
しかし、雄太は六花に、不可視境界線の発見へと至る前に中二病の卒業を促す。
立花はその忠告に素直に従うが、それは彼女にとって根本的な解決がなされないまま、武器を捨て辛い現実と立ち向か合わなければいけない事態となる。
眼帯を外した立花は、徐々に生気を失い、気持ちを塞いで行くがそのことを目の当たりにしても雄太はなかなか問題の本質に気づけない。
そんな雄太の浅さを丹生谷は見透かしていたようである(浅いのよ、冨樫くんの方が)。
中二病=悪であり完全に卒業するべきものだと信じていた雄太は、中二病からの卒業が六花を現実へと立ち向かわせるきっかけになると信じていたのだが、友人たちの通告を聞き、考えを改め、最後に六花を不可視境界線へと誘う。
ラストに雄太が不可視境界線を現前させることができたのはなぜか?
不可視境界線とは、立花が現実を受け入れられる場所のことであり、それはどこでも構わないのだ。
そして、それを現前させられるのは、立花に現実と向き合う勇気を与えた雄太だけなのである。
雄太がそのことに気付いたからこそ、彼自身の手で立花を不可視境界線に誘い、それを現前させることができたのだ。
そして彼女は…と、これ以上の説明は野暮だろう。
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