巨人をトロスト区の内門側の角に集める。
その隙に巨人化したエレンが大岩を運び、破られた外門まで運んで、穴を塞ぐ。
巨人誘導時二割の兵を失う。
「失ったのではないぞ、兵は勝手に死んだわけではない。わしの命により死なせたのじゃ」
ピクシスが責任感のある司令官だと分かる。
また、ピクシスは壁内人類を守るために犠牲を厭わない覚悟を持っている。
理由は不明。
特に伏線とかではない。
赤は作戦に問題が発生した時の合図。
信号弾はこの先も別の作戦で使われる。
別班がエレンを砲撃。
赤の信号弾なら巨人化したエレンを砲撃する手筈か?
精鋭班長のイアンはミカサを置いて撤退を進言されたが、逡巡する。
ミカサは訓練兵ながら精鋭班をも凌ぐ実力の持ち主だし、ここで孤立させ巨人に食われてしまうと兵団全体の損失となる。
一方、万が一ミカサと精鋭班が対立し、争うこととなったとき、ミカサに勝てる自信がない。
かといってエレンの様子からしてこのまま作戦を続行できるとも思えない。
ピクシスは扉の防衛形態(恐らく内門)に戻すことも、精鋭班への撤退命令も拒否。
「おとり作戦」の続行を命じる。
ここで撤退することはこの作戦で死んでいった兵士を無駄にする。
作戦の続行は彼らの死に対し意味を与える。
これは後にエルヴィン団長も使うロジック。
エレンの価値を認識し、彼を他の巨人から守る作戦に変更。
「何人死のうと何度だって挑戦すべき」
どうも兵団上層部はこういう考えになりやすいらしい。
ジャンとコニーの会話から、戦闘における大義とは?という主題を提示。
ジャンはいずれ来る総力戦に向けて今出る犠牲は最小限にとどめるべきと説く。
しかしそうすると、総力戦で犠牲となった者に大義が生まれ、ここでの犠牲者は作戦途上での無駄死にと取れてしまう。
コニーはそこに疑問を呈する。
この主題は本作において繰り返し提示される。
イアンもこの作戦そのものに懐疑的だが、それでも作戦には従い、命を投げ打つ覚悟がある。
恐らくピクシスはイアンのそういった性格を熟知した上で指揮を委任したのだろう。
イアンは優秀な中間管理職。
あと、「悲惨だろ、俺たち人間に唯一できることなんてそんなもんだ。さあ、どうする」と、悲観論から選択を迫っているところがピクシスに似ている。
ベテランの兵にはこれが一番効くと知っているのだろう。
ミカサにはミカサが奮闘しそうな言い方に変えている。
巨人化したエレンは破損した体が修復していたはずだが、今回はそうなっていない。
街の角に巨人を引きつけているも、破られた外門からは次々新たな巨人が入ってくる。
精鋭班はそれらに苦戦中。
アルミンはエレンが巨人のうなじから出てきたことを思い出す。
エレンがうなじにいるとすれば、真ん中さえ避ければ殺さずに痛みを与えられるはず。
また、アルミンはエレンが手足を巨人に食われたのに再生したことも知っている。
だから躊躇なく刺した。
そうして刺激を与えて無理やりエレンを起こす作戦。
まず、この時点でエレンは「地ならし」とその結末まで見えている。
両親が死ぬのも織り込み済みで行動してきた。
恐らくその選択に若干迷いが生じたのだろう。
もしかしたらここでエレンが見た家族とのシーンは、エレンが調査兵団を志願しない未来なのかも。
コミック最終話でエレンとアルミンが違う世界線で話しているようなシーンがあるが、はっきりとそういう能力だとは言えない。
このアルミンの説得がちょっと変。
ここは普通「エレン、起きて、今すぐ作戦通り岩を持ち上げて門を塞いで!」と言うべきなのに、アルミンは「エレン、答えてくれ、壁から一歩外に出ればそこは地獄の世界なのに、父さんや母さんのように無惨な死に方をするかもしれないのに、どうしてエレンは外の世界に行きたいと思ったの?」と問いかける。
結果的にこれでエレンはそもそもの「地ならし」の計画を思い出し、起きた。
「俺がこの世に生まれたからだ」とは、「始祖の巨人」および「進撃の巨人」の最終継承者としてこの世に生まれたからという意味。
つまりエレンがここで起きたのはこの作戦のためではなく、予定通り「地ならし」を遂行するため。